高校生の「問い」に混ざってみて思ったこと
- 6月24日
- 読了時間: 4分

5月から6月にかけて、県内のある高校からお声がけいただき、探究学習の授業に参加してきました。地域の産業をテーマに、生徒たちが自分で問いを立て、調べ、対話をしながら考えを深めていく授業です。
参加してまず思ったのは、「今の高校生、なかなか面倒で面白いことをやっているな」ということ。答えが用意された問題を解くのではなく、「そもそも何を問いにするのか」から始まる学び。
社会に出たら、むしろそっちの方が圧倒的に多いはずです。
だからこそ、この探究学習には少しアントレプレナーシップにも通じるものを感じました。
正解がない。
だから難しい。
けれどその難しさの中で考える力こそ、これからの時代に必要なのではないでしょうか。
正解のない問いを扱う授業

学校で学ぶ座学も大切だけど、
社会に出ると、「答えを当てる力」よりも
「何を問いにするか」
「どう仮説を立てるか」
「どこに違和感を持つか」
の方が問われる場面は、実は多い。
そう考えると、高校生のうちから探究学習に触れられるのは、とても贅沢なことです。(私も高校生の時にこの授業を受けたかった!)
一方で、これは教える側もかなり難しいはず。実際、先生方も手応えと難しさの両方を感じながら伴走されているようでした。
でも、世の中って本来そういうものだと思うんです。
最初から正解が置かれている世界の方が、むしろ少ない。
だからこそ問いを立てる力や、自分なりに考え抜く力を育てる時間には、すごく意味があるのだろうなと感じました。
授業に入ってみて、最初に気になったこと

実際に授業に参加してみて、最初に印象的だったのは、生徒たちが自分たちの住んでいる地域に意外と目を向けていないことでした。
もちろんテーマはそれぞれ違うのですが、和歌山市のことを調べたいという子が多くて、少し不思議だったんです。
県庁所在地だからなのか、情報量が多くて調べやすいからなのか。
理由は分かりません。けれど「自分の足元」よりも、少し離れた場所に関心が向く感覚は、地域のいいものに向けてほしい私にとって、非常に興味深いものでした。
地域の産業を考えるなら、本当はもっと身近なものの中にも問いは転がっているはずです。でも、近すぎるものほど見えない。
これは大人でも同じかもしれませんよね。
現にブランディング支援や個人事業主さんとのセッションでも、全く同じことが起きています。(もちろん自分自身も。)
警戒心MAXの高校生たちと、少しずつ話す
とはいえ最初の私は、彼らからしたら完全に「誰、この人?」な存在。当然、警戒心MAXです。
でも、少しずつ会話を重ねていくうちに、ぽつぽつと話してくれるようになりました。たどたどしくても、自分の考えを言葉にしようとする姿があって、そこにそれぞれの興味や違和感が見えてくる。
普段、私が関わるのは年上の経営者の方がほとんどです。
だからこそ今の高校生たちが何に関心を持ち、何にモヤモヤし、何を面白いと思っているのか。どこに疑問を持ち、どんなことを問いにしようとしているのか。
それを直接聞けたことは、私にとってすごく新鮮で、学びの多い時間でした。
刺激を受けたのは、むしろ私の方だったかも!?
授業が終わってから、生徒たちが立てようとしていた問いに関する情報が、以前よりも自然と目に入ってくるようになりました。
たぶん、彼らに刺激をもらったからです。
高校生たちの問いが、私のアンテナを少し変えた。
そんな感覚がありました。
こちらが何かを刺激したつもりでも、実際にはこちらの方が刺激を受けて帰ってくる。
こういうことって、案外多いのかもしれません。
もし何か持ち帰ってもらえたなら
私が彼らに何か価値を返せていたかは、正直分かりません。
でももし
「こんな考え方をする大人もいるんだ」
「身近にいる大人とは、ちょっと違う(視点を持った)人もいるんだ」
そんなふうに感じてもらえていたなら、それはとてもうれしいことです。

探究学習は、知識を増やすだけの時間ではなく、自分の問いを持つ練習であり、社会と接点を持つ時間でもあるのだと思います。
今回そんな場に少しだけ関わらせていただけたことを、とてもありがたく感じています。
またこうした機会があれば、ぜひ飛んでいきます。
学校関係者の方、地域で学びの場づくりをされている方がいらっしゃいましたら、お気軽にご相談ください。





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